プレミアムな人々 – 岩波尚宏(SUWAガラスの里代表取締役社長)

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SUWA±5μチームの超微粉特殊金属の砂『砂時計』に
世界に誇る諏訪の技術力の素晴らしさ思い知らされた。

SUWAプレミアムがスタートするきっかけになった商品がある。小松精機工作所、松一、ZEST、中央道諏訪湖サービスエリア下り線・ホテル紅や、そしてSUWAガラスの里が集ったSUWA±5μチームによって製作された超高精度金属砂による砂時計だ。自動車の燃料噴射ノズルの穴を開けた残骸7万台分の超微粉特殊金属を利用し、フレームは人工骨に利用されるコバルトクロム合金が使われた。これがテレビの全国放送で取り上げられたりインターネットで話題を呼び、42,800円という高額ながら、限定100個が即日完売するという快挙。冒頭の見出しは、そのチームに参加した諏訪ガラスの里の社長、岩波尚宏さんの思いだ。


“人をつなぐ”産業連携推進室の考えが、諏訪の新たな可能性を生み出す

岩波さんは観光やサービス業、流通には強くても、諏訪地方の基幹産業である工業技術=ものづくりは門外漢だった。しかし、工業技術と農業、観光、デザインなどさまざまな異業種を結びつけ、新たな創造を模索する諏訪市産業連携推進室の仲介によって、とある劇的な出会いをする。それがきっかけで超微粉特殊金属の砂『砂時計』が誕生したのだ。

「産業連携推進室の“人をつなぐ”というスタンスの中で、小松精機工作所の小松隆史常務を紹介していただいたわけです。砂時計では、ガラスの里では専属職人がフラスコ部分を作りました。私はガラス部分を提供するいち業者としての参加でしたが、ああ、諏訪の力ってこんなにすごいんだと肌で感じた瞬間です。諏訪は東洋のスイスと言われ、時計、カメラ、オルゴールを軸としてきた技術のもとでいろいろな製品が作られてきた。完成品を生み出していた昔とは違い、昨今は自動車の部品の工場などに変わってきている。そういう変遷をたどりつつも、根本的には時計、カメラ、オルゴールを中心軸とした考え方でもの作りが行われていると知ったわけです」

ジャンルを飛び越えて、それぞれの技術やノウハウが結びついて起きた化学反応は、関わったメンバーの意識改革を起こしたのかもしれない。世界に通用してきた、今も誇るべき諏訪の技術を新たな視点から形にすることに目を向けさせた。そしてSUWAプレミアムが動き出す。


NEEDを求める時代からWISHを売る展開へ

「SUWAプレミアムは、世界に通用してきた諏訪の技術を新たな視点から形にしたものです。であるならば引き続き産業連携推進室を中心に、諏訪の素晴らしい物を集めていこう、新たに作り出したり、今あるものを掘り出し、セレクトして販売する店を作ろうと。私はそれが本当に諏訪がこれからやっていかなければいけないことであり、商売としてガラスの里の新しいスタイルを生み出すことができる、そんな思いでSUWAプレミアムという事業をスタートしたわけです。対象は6市町村と広域ですから、まだまだ埋もれているものがたくさんあると思います」

 さまざまな技術が集約された品々は、岩波社長や小松常務、デザイナーなどさまざまな業種のメンバーからなる選定委員会の承認を得て、さらにパケージなどブラッシュアップを経て、SUWAプレミアムの商品として取り扱われている。そしてSUWAガラスの里などのショップに置くことができる。岩波社長がガラスの里から発信する商品の数々であっても同様で簡単には認定されない。


諏訪の人々、諏訪のものに着目
それが観光客のWISHにつながるはず

実は、岩波社長が諏訪ガラスの里を引き継いだのは、2012年4月のことだ。それまでは諏訪ガラスの里のいちスタッフだった。ところが新進気鋭のガラス作家の作品を展示し、国内最大級のガラスショップを備えた北澤美術館新館(諏訪ガラスの里)が閉鎖されることになってしまう。しかし岩波社長は「諏訪のためにもガラスの里を絶対残していかなければいけない」と強く心に決め、自らが代表となって経営に着手する。

ガラスの里には年間40万人もの観光客が訪れている。ところがバブルの崩壊、レジャーの多様化、最近の問題では高速ツアーバスの単独走行が上限500キロになったことなどの影響もあり、業界全体の集客は右下がりの傾向にあるのはいなめない。

「引き継いだ時の気持ちは、ただガラスを置き、ただ見てもらい、ただ買ってもらうという今までのやり方ではダメだというものでした。ではどうするのが良いのか。諏訪へやってくる観光客は何を求めているのだろう、お客様のWISHはなんだろう。観光の目線に改めて見つめ直した時、食や精密はもちろん、いろんなジャンルにおいて諏訪ならではのものを見つけ出して、それらを知ってもらうことではないだろうか」という思いにいたった。しかし世間に届けるためには、まず地元の人々にその情報を届けられないようでは、外への発信もままならない。地元の人々が諏訪への愛着を抱いていただくための施設としてガラスの里を育てる必要があった。

「以前は観光地をうたい、よそから来るお客様のための施設として、地元の皆さんに目が向いていなかった、地元の物にも目が向かなかった。私が改めて考えたのは、まず諏訪地方21万人の方々にガラスの里に来ていただきたいということ。それは大きな試み、変革でもありました」

振り返れば「もっと諏訪の魅力を発掘する必要性」に舵を切ったころ、諏訪市産業連携推進室のスタッフと、SUWA±5μを構成するメンバーと出会ったのだ。

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目指すは諏訪の素晴らしい物を掘り出し、
セレクトして集めて、作り出して販売する店舗作り

そして、平成26年4月より、ガラスの里の館内にSUWAプレミアムのブースをオープンさせる。

「作り手の思いを消費者に伝えるということ、これがいいものを買っていただくという根本的な環境だと思います。これはメイド・イン・諏訪のコーナーではないんです。作り手の熱い思いが込められたメイド・イン・諏訪のセレクトコーナーなんです。その思いを確実に伝えさえすれば、一見して高い価格に思える商品も安く感じるでしょう。そういう感覚にさせることこそ我々の役目。映像を作って、工場に行かなければ見られない様子をご覧いただいたりもしているわけですが、そこのPRの方法を成長させていくのが次の課題です」

その一方で、商品の流通の仕組みにも試行錯誤している。

「これを全国に、世界に発信できないだろうかと、今そういう営業活動をしています。インテリアライフスタイルショーや諏訪圏工業メッセに出た感触では非常に注目度は高い。そしてバイヤーの方々もやってみたいと言ってくださる。そういう商品なんです。SUWAプレミアムのセレクトには間違いなく自信を持っています。ただ流通の問題、卸の問題でこの種の商品はなかなか今までの枠組みには収めずらい。常態がもう決まってしまっていますから。ですが、そこの仕組みをちゃんと作れば全国の百貨店や高級店などで扱いたいと言われる商品が作り上げられそう。特に海外に向けて販売網を広げようと営業努力をしています」


諏訪とガラスの切っても切れない関係には、
ものづくりの先駆者の思いが宿る

ところで諏訪地方とガラスにどんなつながりがあるのだろう? 切り子やびいどろ、蜻蛉玉などの伝統工芸品があるわけではない。富山市のようにガラスをテーマにまちづくりを進めているわけでもない。けれど、そういった限定的な考え方では語れないこともある。例えば、秋田に藤田嗣治の作品を収蔵する美術館があったり、蔵の町・倉敷に文化の香りを根付かせたのが日本初の西洋美術を中心とした私立美術館として誕生した大原美術館であったりが、街のイメージを作りあげていることもある。そうした環境を生み出したのは、多くは作家を支援し、作品を蒐集した地域の事業家だったりする。

諏訪湖周辺には多くの美術館がある。そのほとんどが製造業を母体とするものであるのは、“東洋のスイス”と呼ばれる諏訪地方を象徴したものだ。中でも代表的な存在が、旧北澤バルブの創業者で北澤美術館をオープンさせた諏訪出身の実業家・北澤利男にほかならない。アール・ヌーヴォーからアール・デコ期にかかるガラス工芸のコレクションは、世界的に見ても注目度は高い。

「なぜガラスなのか? それはここに見学に来る小学生からもよく質問されることなんですよ(笑)。北澤利男という起業家が、バルプという生活必需品を作って全国規模、世界規模の会社に成長させた。ガラスを集めたのは、山や湖に囲まれた美しい自然を諏訪の澄み切った繊細な風土に生きたからこそだと思うんです。だから諏訪にはガラスが似合っている。私はそんな解釈をしています。西の大原美術館、北の北澤美術館と言われ、年間30万人〜50万人が訪れた時期もありました。こんなにガラスが支持されるのであれば、ガラスの里を作ろうと、この施設はそこからのスタートだったんです」

もとを辿れば、やはりガラスの里も、ものづくりの根っこを持っているのだ。そうしたブランドイメージは、時折、地元に暮らす人々よりも、楽しみに諏訪を訪れる観光客の方に広く浸透しているものだ。そして、この「澄み切った繊細さ」こそが、SUWAプレミアムに通じるコンセプトでもある。

柔和な笑顔で話す岩波社長からは、ガラスの里を引き継いだことが決して大事なこととして伝わってこない。もしかしたら、旧中山道に残る数少ない本陣及び問屋の遺構としての岩波家を守る28代目当主でもある覚悟とどこかで通じるものがあるのかもしれない。

この記事を書いた人

今井 浩一

岡谷市出身・岡谷市在住。高校卒業後、大学では油絵を学ぶ。放送業界紙「文化通信」記者、演劇情報誌シアターガイド編集長、まつもと市民芸術館広報を経て、『engawa』という屋号のもと、現在はフリーランスの編集者・ライターなどとして活動。演劇を軸にアート、クラフト、農業などのジャンルを不器用にこなす。

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